よくよく考えてみると、この生活は反資本主義的だ。
僕は労働力(自分の身体を売っているという時点で、資本主義的な労働なのかもしれないけど)を売っているという実感は、今はない。
管理された生活ではあるけれども、悪くない。
なぜなら、衣食住の安全は保障されているし、本もある、情報源もある、はっきりいって、足りないと感じるものは、ない。
「世界には、もっと楽しいことがある」
そう考えれば、物足りなさを感じると思う。
だけど、今は目の前にあることを、ただやりたいように、感性の赴くままに、時間という概念は意識せず、行っている。
これは幸せなことだと思う。これ以上を求めたら、きっと際限がなくなってしまう。
ヘーゲルの弁証法的な考え方をしたってそうなる。
この生活にアンチテーゼがあるとしたら、「自立していない」ということになるだろう。
普段生活しているとき、そんな風には思いつかない。少なくとも、普段は自立しているという意識はあるからだ。
テーゼとアンチテーゼがまったくの逆になっている。
つまりそう、両極端な生活をしているなという意識だ。
だからこそ、見えてくるものがいっぱいある。
やっぱり、今のこの社会は、どこか変。
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